あそけし

メイドブログ

言葉が消える

それ自体何らかの形で残されることなく、ひとたび空間に投げ入れられた言葉の束のやわな集合である口頭の言語では、即応性と当事者性の観点から、日頃めったに出現せず、それゆえ相手の耳には奇怪な音韻の総体であるように聞こえてしまいかねない難解な言葉や、勿体ぶった言い回し、節々に配置され重厚な感じを醸し出す修辞的技巧は疎まれる傾向にあるが、しかし片手で数え上げられるほどしかない紋切型の統語構造と絶え間ない日々の反復によって悲劇的にも一種の完成を遂げることとなったこのどす黒い消化管、緩慢な肯定、ますます弱まって沈滞する意味拡散の強度が様々な会話の場において見出される現状を視野に入れるなら、それらの言語にはもはや生命がないのである。なぜなら前者はそれが洗練される過程のある段階でその源泉であり母である自然の熱から賜った恩恵を完全に忘れ去り、無意義な関係の持続による倦怠はいつしか激しい憎悪に変わってこの無防備な寝首を掻いてやろうと計画するのだが、彼は痙攣のうちに見ることになる、自らの頚椎が引き裂かれるのを。鏡像に突き立てられた刃物があり、飛び散る無数の破片のうちの一片が驚きと軽蔑の眼差しを返している。そしてそれらの破片は全体として苦悶の表情を浮かべ、胸間から勢いよく血が噴き出す。この血統否認の帰結するところは死であるのだが、他方ある驚異的な仕方で、血のざわめきが喚起する二つの原理の間に自らを溶け込ませることによって死は新生する。相反する二つの力の同時的な作用が精妙な均衡をなし、あらゆる運命的な帰結を拒否するかたちで新たな生命の産出を可能とするのである。ただ真実であるのは、虚飾は現実的なものの鏡となり得ないということだ。そして後者は条件付けられた機械的な反射である限りにおいてその豊かな意味を失ったままである。ともかく私は生きられた言語の運用を発話の場にまで広げようと奮闘し、実際的な手段を見つけた気でいたのだ。しかし実践の段になって口をついて出てきたのはニ、三の断末魔ととどめをしらない唸り声であった。