あそけし

メイドブログ

催眠についての備忘録前編

「言葉を意識する必要はない」とは催眠音声で度々耳にする定番文句である。確かに聴くとき言葉の一々を意識しているとは言えないが、たとえ聴き手がそのように努めたとしても、作中の各所で自身に向けられる暗示の言葉の数々の意味理解には多少なりとも対象志向的な心的状態が関与していることは当然だ。でなければ特定の条件下でかけられた暗示が発動することは決して無いだろうし私の及び知らない言語で話されたそのような音声があるとして、それで催眠にかからないことは想像に容易い。つまり言葉の抑揚、暗に示される方向や速度にもましてまず一つの音声と結び付く対象を心象空間に持ち込む必要があり、言い換えると第一に言語作用の理性的側面を利用するということだが、このことのゆえに催眠を単なる非意識的営為(無意識とは無論区別される)と見做すことの困難がある。話を戻す。催眠という特異な現象の元で揺さぶられる主体に与えられた暗示の「意識の内と外にまたがってある」という事態の実相はどのようであるのか。意識されかつ意識されないという事態は現にそれを体験している主体が存在する以上不適切な表現であると言わざるをえない。もっとも催眠下ー混濁する意識ーという非常に使い勝手のよい述語によってこの形容矛盾を無効にしてしまうことは許されないだろう。誰が許さないのか。グンディスラウスという平修士だ。彼は子供たちに熱心に教理問答の基礎を指導していたが、寝ている最中も時折立ち上がっては子供たちに教えている時と同じように大声で励ましたり叱ったりしていたという。グンディスラウスの近くで寝ていた人々はよく眠ることができず、彼はこのことについてしばしば注意を受けることがあった。ある日彼の信徒兄弟は「もし君の寝言がまた僕の眠りを妨げるようなら、君のベッドに行って縄の鞭で叩くぞ」と脅した。もちろん冗談のつもりだった。するとグンディスラウスはどうしたかというと、夜中に寝起きして虚ろな足取りで自室を後にしたのである。ふらふらと、しかし対象へと忍び寄る蛇の如き歩みだった。彼はあるベッドの前で立ち止まった。それは昼間自分を脅した相手のベッドだった。彼はハサミを手にしていたが、その刃は月光に照らされて青白く冷ややかな輝きを纏い、その先端が信徒兄弟の姿を捉えた。しかしー神の摂理を見よ!その夜は空を覆う雲の一つもなく澄み切っており、月明かりで目を覚ました彼はハサミを持ったグンディスラウスがまっすぐ自分のベッドに近付いて来るのを見て、すぐに仕切りから最も遠い側から身を投げ出したのだ。マットレスにハサミが数回荒々しく突き立てられると目標は達成されたのか、夢遊者は体の向きを変えるとすぐに部屋から出て行った。

朝になって彼は質問攻めにあったが、昨夜のことについて何も覚えていないと言い、そうしようとしたこともないと否定すると、ただ、誰かが鞭を持って自分のところに来たならハサミで怖がらせて追い出してやろうと考えていたと付け加えた。

 

続く