あそけし

メイドブログ

快癒は無い

一枚一枚と皮を剥がれ、存在の穴という穴に回転する歯車を投げ込まれ、あり合わせの衣装を纏うことによって、無窮の闇、つまり身体内に局在化された精神的嚢胞と気まぐれな情緒興奮に由来する転導性と樅の木屑の混合物こそが分泌腺であることが明かされた暁には、身体の上でそれ自身当惑げに、しかしある時には自然な情緒の埓外にある非常な熱狂を秘めて速やかな錯乱した動きを垣間見せる不安や苦痛の感覚の極度に高められた瞬間のあの情緒全般を揺るがす大波は決して自己幻想と目されるいわれはないのだし、またある病的素因を抱えた者をして皮膚紋画の耐え難い衝動へと駆り立てる所以のものはたちどころに明らかにされるであろう。つまりここには悪魔の滴る涎があり、歪な相関があり、天球の脱漏があり、触発ということの問題があるのだが、それはまた有史以前、真正の羨望が激烈な攻撃性へと変形される瞬間の構成の格子型を押し当てて至高の知恵をば汲み取らんとするあの諸惑星に対して企図された勝手極まる蛮行とそれに続く殺害と振戦と混乱と略奪と騒擾と掟の崩壊とその再生に至るまでの過程のいわば焼き直しに過ぎないのだし、今ではもったいぶって取っておかれたまどろみの中で星々の残滓的な囁きが時折聞かれるだけであって、それというのも記憶に新しいあの内的撹乱以降、総体的な部分複合に基づく観念、つまり純粋な知性認識を必要としない観念に取り憑かれ、私の身体は端的に私のものではなくなっているからである。次のことはあくまで近似的な表現に過ぎず、真の意味は言葉の彼岸に求められよう。すなわち種々の追憶を孕み喘いでいる星々の潮流が絶対的な安らぎの中で高められ、極彩色の雲の隙間から時折見え隠れする中世紀の棺の中に響き渡る無言の歌となるのだが、新たな泥人形の生誕を祝うべくして歌が流れ去ってゆくその方角を認識することは私にはほとんど不可能になってしまっているのだ。あらゆる不吉な兆候が周囲に満ち、歌がまた再び叫びへと変わる殆ど絶望的な未来が暗示されていて、眼前の喜劇を止めさせようと呼びかけたりしてみても、曇りガラスを隔てて分割された一方の側である私の声が向こうに届くことはなく、そして未来永劫届き得ないのだろうか。永遠なものが欠けているか重篤な変化を被っている、ある本質的な関係において己の置かれるべき位置を判断し定位するための目測は壊れ、想像が輪舞し、唯一の現実は私を絞め殺す術を心得た。むごたらしい現今の窮迫が贖われるためには新たな約定が、一つの固着が、独特の閉じられた様式の中で反復される孤立的な享楽のあり方が見出される必要があり、そうして示される新たな方角とは、錐体路と血管の隅々までもを打倒し身体における身振りと全運動を革命する痙攣的な死の療法であり、血液という血液は不協和音によって置換される。