ささやかなライフハック
ひとは絶え間のない急速な流れに投げ出されているために存在を審美的に享受することは困難となっている。しかしこのことはまた、多くの善いものを暗に備えていて、生存に弾力性を与えるこの仕方によってこそ身振りに時折おどけを交え、その力で気力を取り戻しひとまずの望みを確立することが可能になるというものだ。とはいえ一義的な進行の軸が崩れることはやはり脅威であり、この意味で志向されるべき本質的な支点を見つけなければならなかった。問題となっているのは、必要となればその場で援助を引き出すことのできる物質的な支えをあらゆる偶然的な状況に導入し、これらの局面における絶え間のない流れを不連続によって切断することである。そこで私はある実践的な解決法を編み出した。手近なものを利用して出来る簡便で効果的な操作だ。それは文字すなわち書かれた物質的な成分に基づいており、個人的な拘りのゆえにある書法に関係している。手順は以下の通り。まず、AからZまでのアルファベットが書かれた紙片を用意する。次に数を得なければならない。切断を取れば、分かたれたそれぞれのあるいは片方の軸の一端には、現実に生起している事態に対応する数が存在しなければならず、両方に対応する数がないという状況は不可能である。なぜならばそのとき、この操作が指し示す状況はいわば無理数的な事態であり、経験的な立場からは量の導出不可能性という問題は提起し得ないからだ。ここでは仮に3を得たとしよう。ロザリオを手にする仕方で紙片を手に持ち、アルファベット順にそれらを3つのスペースに割り振るのだ。1つ目の領域にAを置いたら次の領域をBで引き継ぎ、これらをZに至るまで繰り返す。一連の手続きを終えたとき、光と愛の欠けたあの耐え難い脅威のなかで分かち難く糾合していた妄想と迫害感の循環から解放され、今や実現された対象の形式のもとで享楽を縁取り、気を引き立たせる活力を生み出す動因が自身のうちに働いていることを見出すだろう。しかしここで使用する大文字の英語アルファベットは26文字であることに注意しよう。すでに理解されていることと思うが、綺麗に割り切ることの難しい数なのだ。それゆえ多くの場合にこの方法は欠如を、つまり構造的な不安定さを抱えてしまうのである。古い配列法に従ってI/J、U/Vを同一のものと見なし24文字に縮めてもいいかもしれない。いずれにせよ見直しの余地はある......とはいえ、ものを静止的に描き、位置付けて、存在のプロットに穿たれた穴の縁から止むことなく侵入する不安と対峙することを可能にする論理を手にしたのだ。
魔法にかかると
一人の小さなお針娘が実在する身体に由来する魔術的策謀に籠絡され、観念の舞踏に夢中になりついには恍惚として人類の群れ全体との交接を懇願するに至るあの夢物語的追憶は私の身体の拡がりのなかにだけあるのだろうか。あるいは鉱石や樹木の微風な息に晒された全ての動物が覚える神聖な慄きのなかに存在するのか。互いが互いの喜びの種と成りきれていない主人と奴隷のどちらか片方がもう一方の殺害を試みて恨み節を吐かれたとしてもせいぜい嫌な気がするだけだ、ところが知性の感じた驚きのほんの二、三行を書くことが出来なかったり、感情の倦怠のためにゆっくり腰を落ち着けて針仕事など出来ずにいると、たちまち諸器官の活動が、かつて適合したこともないこの身体に常軌を逸した消耗を要求し、あらゆる堅固な支えを失った組織体のように、ばらばらに砕け散る。とはいえ海鼠は内臓をすっかり吐き捨ててほとんど死の状態に己を近づけるのにも関わらず、執拗な生命力で、肉体による専制の下、絶えざる脅迫と悪魔的な暴力に再び組み敷かれにいくという救いがたい性質を有するが、同様に、死に損ないの身分とあっても、種々の物事に特別な意味や余韻を見出してしまうから、かくしてひとたび情動と生命への憧憬の片輪と成り果てた意識を尻目に臓物たちは、いつまでも霧の中でぴくぴく痙攣し続けている。そう、霧はまるで記憶の断片を一枚ずつ剝がしていくように街を覆っていたのだ。石畳は湿り、灯のともる街灯は、輪郭の崩れた光をぼんやりと空に放っている。街の中心には広場があった。噴水は音を失い、ただ水の気配だけが、耳の奥で細く震えている。それらの強烈で純粋な雰囲気は私を酔心地にさせた。履き潰した長靴の僅かばかり先に物影があった。霧のなかから現れたというよりも、むしろ霧がその形に組織され、ゆっくりと立ち上がったように思えた。深い縦皺のよった肺腑の縁に滴る露が光を集め、微かな笑みがその下で揺れている。笑顔で応えるべきだろうか?しかし口のいかなる部分も微動だにしなかった。微笑みは存在の執拗さの正当化に他ならず、生とその諸条件の調達を変わり映えのしない仕方で繰り返す日常地獄に身を投じるための儀式的所作なのだから云々。ごたごたうるさい!笑うことを覚えるのはとてもむずかしいとだけ言えばよいのだ。さしあたって日月の総量は問題ではないのである。たとえ私が命を絶とうとも、それはまったく誰の責任でもない......曖昧になりながら手を心臓にひしと押しあてて温もりを感じていると、霧がほどけ、天体物理学上の太陽でも天文学者の太陽でもない、感覚体験としての太陽が雲間から顔を覗かせた。眩いばかりの光輝に浸されて、私が思い浮かべていた言葉は、吐息とともに大気に溶け、名も感情も持たぬままに宙へ散った。いまや月下界のあらゆる存在者が太陽をじっと凝視している。ガラスの眼を持つ人々、石工土方錠前屋、半山羊半鹿、狸とその不倶戴天の敵、高貴極まる軟体動物や梅毒菌、てこでも動かぬ花崗岩...鼻先を掠め飛ぶ小蠅から原生生物に至るまでの誰もが、太陽の一言めを待っていた。
「あらゆる経験的な知の限界が存在の具体的形態を画定し、しかもこの具体的形態がまさしく同じ経験的な知のなかで与えられるこの循環。殊更強調するまでもないことだが、今日の頽落に鑑みてよく分かってもらいたい、存在という奴はその複雑怪奇な天分に倣って自分の領域を広げる方法について全くの無知ではないということを。」
「支度ができた、だと?」
「飛び降りさせよう、飛び降りさせようよ。」
「無の警報ラッパの合図で比翼の支えを振り切っていよいよ切実になる風見鶏が道徳の基礎に関して正しい概念を所有していなくとも、ぼくに向かって腹を立てたりするのはお門違いというものだよ。赤子の頭蓋が見え隠れする小さな丘を背景に、それまで裸のままでいた肉眼に拘束衣を着せるかのようにして視線と画面とをあべこべにした、というのが君の訴えだった。虚空を両手でまさぐるのは止めにしてよく聞いてね、尊敬すべき人間たる、君がそういっているのは確かに事実で真理だ。しかしそれは雪の白さが字面の真理に関係しない限りでの真理に過ぎないのだ。鼻をすすり、息を吐くのは、ひとり葬列の殿の努めなのか?画面において視線が審判するのは、対象よりもむしろその視線自身なのではないか?あの大いなる時代の宮廷道化師の活躍さながらに、星辰運動の乱痴気騒ぎに由来する眼差しの狙いの、新しい振舞い方についてとくと考えてみるとよい。いや、数々の事柄の薄片で暗示的に示唆するのはよそう。君も磔刑のあらゆる局面を通して幾何学的な平面を喜ばそうなどと傲ってはいけないよ、条虫なんぞに気を止め給うな。ぼくの個人的な願望としては、君の絶えず移り変わる様相のなかにぼくの精神の潰瘍を、薄膜を、赤斑を、糜爛を、泥土を、痛痒を、膿疱を流し込んでやりたい、とさえ思っているのだ。君の治癒寛解を心より望んでいる......さあ、街へ繰り出すがいい。」
「長い一日が終わってその後は...どうなるの?」
「昔のまんま。両の耳が頭に押しつけられる動作、禁欲的な印象の肖像画、無数の車輪のまわる音...」
「忍耐ももう尽きそうだ。くたびれた。地上の熱さと、他の奴らがおしゃべりなせいで頭がずきずき痛む。もうこれ以上注意を払ってはいられないよ。とりあえず眠ることにしないか?」
太陽は、沈黙したままだ。
日記25/7/30 寝覚めの脳内騒擾
長いあいだ眠っていた。襞をつくっているシーツの擦れ合っているその質感が、部屋の張りつめた空白に遊びを与え、眼前は呻きを含んで静まり返っている。日中には絶えず窓から漂い流れてくる光もすっかり尽き、真暗闇の中、手さぐりで照明をつけるやたちまち新たな光が躁ぎ出して、ものの中心点は瞳から天井へ、しかしその広がりは相互浸透のダイナミズムを持たず3つの実数の組からなる諸点とその範囲によって定まる閾のぎこちない移行の、本質的に人工的な測定法なのである。まだ組成されてはいない寝覚めの曖昧な状態にあって両極間の漸強と漸弱とを揺らいでいた私の、少々逸脱気味の長閑な線と、谷あいの陰鬱な草原よりも輝きのない色調に光がくっきり射しているのに、いよいよ私はグロくなっていく。再び寝床へ潜り込むつもりでいるのに、もう二度と寝ることも叶わず、時の経過にしたがって不安の募るばかり。身の置き所もないという言い方をしてみても、身そのものが不明瞭な中心、そもそもあやふやな仮象として知覚されるのであってみれば、依然として可能的な含意をそなえている言説のこの種の効果とはきっぱり手をきらなくてはならないだろう。サン=ヴィクトルのフーゴーは流謫の地と述べてはいたが、彼は信仰を有していた。かくして、漸次、新たな運動の場を創出することが緊急の問題である。何が言いたいのか分かりますか?
近況でいえば、心身ともに全体的に終わっていてアレになっておりますが、部分的には回復の兆しもあります。中途覚醒がなくなって、一度寝付けさえすれば、少しばかり満足に眠ることが出来るようになりました。また、ごく平均的な一日を省みても、紛れもない良い気分でいる時間のほうが長いと感じます。とはいえ折衝というものを知らないこの破壊的な性分は、生理学的な自己との関係においても度し難さを示しており、具体的には唐突にヤバいくらいの眠気が来て動けなくなるとその日が終わります。これまでの不眠の癖が嘘みたいです。やっていきましょう。終
日記24/10/21
究極的には生命を維持していく上で不可欠となる生理学的衝動を満足させること以外の何も習慣化され得ないのだ、この怠惰な生においては。とすると習慣と呼びうるものは本当に食事とか睡眠とかだけになってくるが、毎食思わず舌を唸らせるほどの美味しい食事にありつけるということはないだろうし、そもそも食が細いのもあって、前者に関して積極的な楽しみを見出しているわけではないし、じゃあもう入眠時に意識が暗闇に飲まれようとする数瞬の間に知覚される、自室の矮小な空間を遥かに越え出た魂が日常の意識的な遂行によっては目に見えない光り輝く純生命的な諸力と戯れることによって、ほんの僅かの間だけであるが記憶に生き生きと刻印される想像力の諸成果をもって日々の糧とするならばそれはそれでいいですよね(ですよね?)とも思うので、何が言いたいのかといえば、いずれ生命を維持するべく課される生産的活動の義務があそにゃ'sほのぼのゆったりライフを侵害してくることだろうし、早かれ遅かれ必然に突き付けられるそうした外的な諸要求に思いを致せば、底なしに絶望的であるがゆえの死という短絡を採るにせよ採らないにせよ、とにかくもうすぐにでも肉体を離れて霊的実体となり、物質に属する類のものたちが連帯している強姦めいたあれらの擾乱に対して我関せずの態度を貫けるようになりたいということだ。認めがたいことではあるが、確かにそこには盲の鹿をも引きつけてしまうような抗い難い誘引力が働いているのである。曖昧なものの敵たちの凱歌。
やらねばならないことがあり、作業を進めては無力感に打ちのめされ、せめて束の間の安息をくださいと子供じみた祈りを捧げては天からのありがたい啓示が舞い降りてくる今日このごろ、ずっと頭を働かせていると次第次第に脳皮質が異常発達している感覚があり、いつかカニバリストの白馬の王子様が迎えにきてくれるのかしらと食人的お伽噺を夢想しつつ、やらねばならないことをやっていく。最後公開するための日記を書いたのは随分と前のことだった。義務に触発され、ようやっと能動性が発揮されるというのは何の希望もない大きな不幸ではないか。しかしこのような生活を自分のために望んでいたのだとしたら?
頭蓋骨の中の、という言葉によって示唆される事柄は日常的用法に限っては決して「埋め込み」ではなく「格納」であるはずだ。すると我々は物質の非物質的部分も含めて種々の事物を認識しているということになる。
でも、あなたのせいではないのでしょう?
やれ気の毒なことよ。
ウ。となる
満たされ得ぬもの
好奇心に駆られてヒト用の首輪を購入した。周りに何も悟られぬよう取り澄ました身振りで興奮を抑えながら、足早に店を出る。下劣な欲望は仄暗い心の深層より迸り出、意識から思考へ、思考から全神経へと自らの存在を告示するのだ。両の足はまるで独立した意志を持つ一つの器官であるかのように勝手に歩き出し、人混みを縫って中心街から大通りへ、大通りからさびれた裏通りへ、どんどん人のいないところへと私を運んで行く。その歩調は街行く人々の無邪気な歓びの調子を剽窃したものであったので、すれ違う人間の目には、おそらく私はさぞ愉快げにスキップする大胆不敵さ、あるいは一種の軽薄さとして映じたことだろう。しかし私の名誉のためにも、これら一連の出来事は物憑きというほかに説明しようがない質の事柄であって、決して私が望んでそうしているわけではないことを再三繰り返さなければならない...小気味よく上下に揺れる私の身体の動きに一致して、手提げ袋も上下に揺れ動き、そのたびにどうしても首輪のこと、そしてそれを用いて成されることを意識してしまう。だが自室であればまだしもここは家の外だ。おのれの淫らな欲望に取り憑かれ、そればかりか公共の空間においてそれを満たさんと考えることなどもっての外だ。自己を律さずして心の安寧は無し。ここは外だ。そう、絶対にダメなのである。しかしアスファルトの地面は、昼も夜も赤銅色に輝く太陽の貪婪さを満足させているというのに、ヒト一人の取るに足りないちっぽけな欲望に奉仕することさえ拒むのか。飽くことを知らぬ泥濘のような秋空に吹くさわやかな風は街の混沌の中に色彩を投げ入れて、尋常ならざる観念に心が魅せられるたびごとに、頭蓋に咲くこれらの病んだ花々を甘い甘い液体肥料に浸すのだった。このような問題提起は私には馬鹿げたものであるように思われる...なるほど公共とは往来する人々の風紀を裁定する審判者の名であるのだが、きょうびその秩序と公正の天秤のまわりに肉と汚辱の烈しい循環があるならば、彼もまたソドムの娼婦でありうるのだ。再び意識を外へと向ける。裏通りは閑散としているとはいえ、少なからず人の往来があったので横に抜けると路地に出た。足を止めゆっくりと周囲を見回す。雑居ビルの一室にある窓―問題なし。埃の体積具合からみても長い間開閉されていないことは明白である。あのゴミ箱の中からこちらをじっと見据える眼差し―問題なし。蓋を開けてみると、一つの裏切りであるかのような暗闇が深々と満ちているばかりだ。鼠や野良猫―問題なし。小動物に対してであれ、人間の醜態を晒すことは厳に慎まなければならないだろう。だが今私は自由の身となった。誰の目もなく何かに配慮しなければならないということもないのだから。果てなき渇望に身を引き攣らせ、精神解放するのです。はやる気持ちをおさえつつ、勿体ぶった手つきで袋の中から首輪を取り出す。永遠と不滅の相としての円環が、いつから支配と従属の象徴及びその手段として使われることとなったのか?人間はまったく罪深いものである!あなたもそう思わないか?感情がたかぶり、返事を求めてみるも聞き手はいない。そう、人間は本質的に罪深い欲望を抱えている、のであれば自らの悪性を押し殺し、情容赦なく自らの領分から追放し去って敬虔な叫びを上げ続けるよりも、終わりのない熱狂に身を焦がし、露悪的で荘厳な諸力の間断なき供給の中に身を沈め、この内なる敵によってぶち壊され八つ裂きにされ貪り喰われる生を私は所望する、少なくともあなた達にとやかく言われる筋合いなんて無い!と非難の意を込めて突き出した人差し指は空虚を指すばかりだ。呼吸を整えて首輪に目をやる。日は地平近くに残照を残すのみとなり、街路の隅々を金色と赤紫に染めなしている。遊戯の終わりは近い。火と燃える赤色の皮のあざやかさ。夕暮れは嘘偽りなしに渇いた心を包みこんでくれる。すっかり酔い心地になって、力なく地べたに座り込む。ひんやりとした感覚が皮膚に伝わってくる。首輪を首に回し、少し余裕を持たせて留める。手を離すと首元へするすると落ちていき、金具が触れた鎖骨の骨端から暗く重い幸福感がじわじわ広がってゆく。四つん這いになってしばらく歩き回った後、ぺたん座りの姿勢のまま体の真正面に突いた手を太ももで挟み、"待て"のポーズを取ってみた。すると途端にせつない気持ちが込み上げてきて、不在の主に向かって情愛を懇願し、しっぽをフリフリ、恍惚のうちに服従の言葉が口をついて出た―他ならぬご主人様のご命令とあらば、不肖あそにゃ、いかなる辱めも受ける覚悟は出来ております―
ああ、哀れなあそにゃ!誰かあるいは何かの所有物と成り下がり、壊れるまで犯されたいと書くだけで、この分量?
年がら年中の分裂
過去の出来事に思いを巡らせ、記憶の中で次第に古めかしさを帯びてきているものやそれらときわめて厳密に結びつきながら共振している私の生きられた経験を可能な限りで緻密に慎重に再構成していくと、あらゆる事象の生起するその仕方が前もって書き記されている運命の目録のような空想物を持ち出すことによってしか満足のいく説明を得られないような出来事に出くわす。跳ね回り、枯れ果て、運行するこの地の一切のもののみならず、理由のある悲しみや交じり気のない絶望、破壊的な素質の一部といった全てが整然と並べられた球のように劫初の計画に基づいて配列されており、創造の御業とはその末端にそっと触れて以降永続する確かな力を与えるあの慎ましやかな手であるというのだが、この空想は常に圧倒的である。あらゆる事柄の背後には取り決めがあって、光の伝搬面が描く未来光円錐内における事象の複合としての人間ならびに個々の存在の想像も及ばない延長をも含めた真の意味での全生命、世界の摂理をしろしめす神の最も深い意味が眼前に開かれるのだ。この考えに没頭しているときには私は一つの透徹した生命力そのものであり、原初の諸力が全身に行きわたっているのを感じ、ぱっくり口を開けた深淵から湧き出る純粋な響きによってばらばらに砕かれた頭蓋の破片の一つに掴まりながら自然という母胎の大海原へと押し流されているのをそのつど見出す。現実の陳腐な意味の乏しい月並みなありふれた科白の乱れ飛ぶ舞台の裏で数珠を爪繰りすっかり酔い心地である青ざめた屍体の種々の意図を暴き出し、無条件的かつ絶対的な知見としての第二の世界を私に提供してくれる空想の慰めは、かつてその意義や目的が今ほど明白に意識されてはいなかったにせよ、私はそれを素朴な治療法として捉え、昔から用いてきたのだし、またそれは感情的激動を伴って興奮へと駆り立てるような強烈な経験に対して起こる生来の自然な反応様式でもあった。広範な活動の余地を与えてくれる空想の助力。それは全く抵抗し得ない衝動であり運命的な一つの全体へと組み入れる運動の弁証法である。しかしながら喜びと安らぎに満ちたあの意味豊かな第二の世界はかすかな腐臭を必ず漂わせていることを私は見抜いていた。何故なら、運命的な義務の実現が問題となる第二の世界の現れの意味するところは私の発端に対する攻撃、私に背くことにほかならず、すべての死者からなる共同体が理想的虚構に奉仕し果ては朽ち果てた糜爛死体となることを私に暗に要求していたから。第一の現実の私は極度に内気で、恥ずかしがりで生気もなく、何かについていささかの幻想すらとてももてないような有り様で、気まぐれな絶望と混乱の間を揺らぎ往復するだけのあわれな亡霊にすぎない。不幸にも降って湧いた取るに足らぬ偶発事、これだけが真実で、永遠なる叡智などくそくらえだ。過剰や過剰の抑制、苦悩の時だけを打つような秒針に身を委ねること、救済の無条件な確信、胸郭のなかをごろごろ転がる丸太、身に降りかかる怒りの種、心の倦むことない配慮、活動の真っ只中にあってなお急き立てるこの厄介な性質、分別に富んだ振る舞いや血の噴出などはもうたくさんである。もっとも、まず初めにこの精神を黙らせなければならないのだが!
初夏の候あるいは真昼時の罪責感
幼少の頃のある記憶が思い出される。それは私の最初の意識的な外傷であり、青く輝く好奇心と純真さによって鮮やかに彩られる幼い日々の傾斜面をなす、素っ気ない残虐さと凶暴性に関わりのあるものである。ある初夏の頃、私は近くの小川のほとりを散策していた。何か生き物でも捕まえて観察してみたいと思い、虫取り網を持って出かけていたのだった。ほどなくして水面に映る黒い影を見つけ、小魚だと予想していたが、捕らえて引き上げてみるとそれはおたまじゃくしだった。実際に見るのは初めてで大変な興味をそそられかなり長い間眺めていたと思う。ぬるぬると黒々しい輝きを放ち、尾をくねらせながら網の上を這うその姿とそれまでの文字情報に過ぎない知識とが結び合わさって実像に至り、私はその存在についてグロテスクかつ不思議であるとの印象を抱いた。世界に生まれる準備ができていないままに産み落とされ、発達のある程度の段階に達しようやく四肢を獲得する、いわば早すぎる早産子のこの特性は驚くべきものであり、かの幼生が変態を遂げる様は他の既知の生物の特性とは似ても似つかぬ不可解なものであったためだ。ふっくらと膨らんだ、白い腹部がふと気になった。指で軽く押してみるとぷにぷにと跳ね返してくる感じがあり、その弾力が心地よかった。ゴム球のような感触を楽しんでいるうちにより強い力で加圧してみたいという欲求が生じてくる。求めれば得られるであろうほんの少し先にある快い手触りが欲しかった、ひとたび熱を吹き込まれた好奇心という炉床の喘ぎを鎮める術などないのである。とはいえ私は決して殺してしまうつもりではなかった...本当だ。観察を通じて魅惑的な神秘な感じのいや増すこの蝌蚪、そして瞳の下に閉じ込められた甘く緩慢な腹部、刺激性の降り注ぐ初夏の陽射し。これら全ての狂騒が私を麻痺させ、手元を狂わせた。指先で弄んでいた膨らみがつるりと滑ると器官の欠けた身体は奇怪に歪む。おたまじゃくしはうずまき状のもの―後に消化管と判明する―を吐き出した後、動かなくなった。殺生についての最初の記憶は以上の通りである。そしてそれは同時に罪悪感という感情が私の精神生活に息づくようになったきっかけでもあった。他でもない自らの手で直接生き物を殺してしまったという自覚から怖ろしい罪の意識が湧き出してくるのが分かり、それは多くの物事に無自覚であるがゆえにそれまで安定した単位としての統一体をなしていた私の存在を押しゆるがした。電流にも似た戦慄が全身に走り、真昼どきの祝福された怠惰や弛緩に与るべくもなくその場を後にして家に帰ると自室にこもってひたすら許しを乞うた。それからというものおたまじゃくしの惨たらしい死に様が頭から離れず、特に寝る前などはあの惨憺たる情景がありありと目に浮かび、罪の意識と容易ならぬ恐怖の念のうちに息がつまりそうな感覚に襲われ、苦しみのあまり身を捩って叫び出してしまいそうになった。しかし実際に叫ぶことはなかった。私は罪を告白するよりも隠伏し自ら抱え込むことを選んだ。自分の行いを開けっ広げに話して楽になろうと考えるほどに私と家人との間に暖かい信頼関係が築かれてはいなかったのだ。その結果として罪業の念は昂じてますます耐え難いものとなり、夜の間感知される気配や物音は当のおたまじゃくしの怨霊が現れて私を嘲笑っているのでありいつか私を呪い殺そうとしているのだということはもはや全く疑う余地がなかった。安全が保証されているはずの住居空間の夜の雰囲気は危機的であらゆる敵意と兆候に満ちており、逃れられないと感じていたから、幼少の私が自死という考えに及んでいればきっとそうしていた筈である。こうした観念が内面の生活に場を占めて克服されるまでの二年余りの間、他のあらゆる感覚印象は記憶の隅に追いやられてあまり思い出せない有様だから、幼年時代についての追想は常に陰鬱で過酷かつ暗然たる調子を帯びたものとなる。