あそけし

メイドブログ

日記1/11

最近湯船に浸かっていると、特に前触れもなく突然電気が消えるということがよく起こる。浴室のドアを開けた途端に消えたり、髪を洗っている最中に消え、あるいは消えていた照明が再び点くこともあったりとタイミングは様々である。家人に尋ねてみても、彼らが入浴している最中に同様の現象が起きたことはないと言う。では何ゆえにこの不可思議な明滅が引き起こされるのか。その一つに電線の接触不良ということが考えられるだろう。asonyaが入浴するのはもっぱら真夜中なのだから、他の時間帯よりも比較的低い気温であるためにケーブルが収縮した結果このようなことが起きているという説。合理的に説明づけるとするなら概ねこんな感じの筋になるだろう。もう一つは遥か彼方の惑星から、未知なる生命体が公的もしくは個人的に我々地球人との接触を図っており、全人類の内から無作為に選出した一人に対して様々なアプローチを試してみることで、地球人に対して友好的な態度を示す方法を見つけ出そうと奮闘しており、思案された数ある試みの一つとして遠隔から念力で風呂の電気を操作しているという説。その場合異惑星間コミュニケーションの第一者として恐れ多くもasonyaが選ばれたということになる。こちらも相手方に対してどのように振舞えばよいかということを考えておかなくてはならないだろう。私は前者が有する蓋然性ということを視野に入れながらも、後者の可能性を排除することはしない。何故ならば逸脱事例はいつだってありうるからである。一般に中庸ということが言われるが、この大別される二つの認識方法の接した際にどちらかを自身の棲家とせねばならないということが自ずと了承されているのだろう。何故ならば主体と客体という概念が自身を秩序づけ、その整然さの度合いはそれぞれの極において最大となるからである。少なくとも表面上の自己把握を試みる場合には存在論的強度ということが要請されるのである。それと内心の安らぎとは密接な関係にある。どちらを取るにせよ、思慮浅く想像力に欠けているのだわ