あそけし

メイドブログ

日記 22/1/15

あいも変わらぬ人混みの雑踏にうんざりしていた正午「大量生産された自然災害は釘だらけの花火なのか」と尋ねてきた男がシド色に輝く淵の眼鏡を掛けていたことはどこか示唆的ではないか?あの天頂を我が物顔で通過する電気鰻の言葉を借りるならば、"そうとも思えないが。"私に言わせれば...とにかく近頃セレベス海周辺の島々でもっぱら話題となっているあの毒虫に幸か不幸か絡まれたことだけは純然たる真実であることに変わりはない。最も、千年の王都の繁栄すら途端に無へと帰してしまうような冷ややかな悪意の目と揶揄の故にあの者を毒虫と称したわけではない。暖色の照明と昼下がりの大気を反射して薄く黄金色に輝く羽根と毒針、不審に蠕動する腹部のヒダ、どれほど残虐な手法で獲物を絶命させるのか想像に難くない凶悪な造形をした顎を備えたそれは毒虫そのものであり、それから発せられた声の抑揚とイントネーションから男であろうと推測した次第だ。彼が毒虫であるならば雄とする方が適切だというむきもあろうが、人ならざる異形に話しかけられたという不可思議な出来事を、認識をつかさどる器官の欺瞞の網によるあの法外な偽装工作(今日では広く知られている!)結果こういう言い回しになったとするのが現代のasonyaology研究者達が是とする見解である。ところで、人体は半分以上が水で出来ている。水風船に特殊な音波を当て続けると外側のゴム層が破裂したり一部分に歪みが生じたりするかの如く毒虫の羽根が発する独特の波長が人体の水分と共鳴したのか、その場にいた人々は異常な興奮へと駆り立てられていたのだが、私がどうとも意味の汲めない疑問文の返答に困り、それでも目を合わせないように俯いたまま数分が経とうとした頃には向こうも次第に要領を得てきたのか、依然として錯乱状態の馬のいななきにも似た怪音を奏でるあの崩壊した五線譜にアダージョを書き足したようだ。するとそれまでどこからともなく聞こえてきた怒号や叫喚は安堵の歎声へと変わり、一帯に人類讃歌がこだました。これを記している今もまだあの歓呼が鳴り止んでいようといまいと、もう関係の無い話だが。ともかくあの時あの場所を支配していた即興の、少々粗雑ながらも重畳の神聖な雰囲気に私はえも言われぬ酩酊と眩暈を覚え、すぐに立ち去った。言いそびれていたのだが、あの場所とは大阪駅の地下街にある泉の広場で、地理的条件、歴史的推移が僅かでも違えばプラハ、アンケー、赤道直下、テルアビブ、ネリュングリ、黒竜江、ハワイにもなりえた無限にも近い平行線の凝集点である。
泉の広場から立ち去る私に妖精の喘鳴のような弱々しい声で毒虫はこう続ける、「私はバラモンに祭礼の優越性を説いた、ペロポネソス戦争ではスパルタに従軍した、孔子を言い負かしたこともある、車輪を発明したのは私だ、ジャンヌダルクはタコが好物だった、カノッサの屈辱に立ち会った、ハイデルベルク城の従者は鼠由来の感染症に苦しんでいた、最古の地上の人々に善悪の概念を教えたのも他ならぬ私だ」云々。
これらは寒さと空腹から生じた幻覚なのだろうか?黒竜江の楼閣の最上階からは地の果てまで続くハルビンの広大な野原とヨドバシカメラが一望できた、神亡き後安寧を求めて彷徨い歩く枢機卿の魂は大阪四季劇場の最奥にひっそりと佇んでいる、土佐堀川を通るあの水上バスは墓荒らしに盗掘されたミイラをあるべき場所へ運んでいるところなのだと...
過去と現在を隔てているかのようにみえた観念の不正を知る土曜日は観念の中で歌う電気鰻を動力源とする巨大な回転木馬のうちの一つ。
名もなき藤原姓の人物の私家集に散見された"むつきとおかあまりいつか"とは今日2022/1/15の事なのだ