あそけし

メイドブログ

日記 5/31

何かの拍子にあらかじめ仕組まれた予定調和の覆いが外れて膨大な無があらわになり、あると信じて疑わない因果法則の力添えもあって、いずれそれが実現されると約束付けられていることが天の理法であると思われたところの明瞭で甘美な未来への展望が広大無辺な暗がりの中に没してゆくときのことを考える。諸々の否定的な面は差し置いて、驚嘆すべきはそこで初めて正当にも壮大な破滅の方策を講じることの権利が発見されたという事実だろう。

必然性の権威が失墜してより後、渾然一体として無秩序な纏まりだけが残されたが、その混沌たる巨大な集合に沈み込んだ前時代の聖遺物を掘り出すことに務める人がいた。聖遺物はひどく錆びついていてかつての輝きを失ってはいたが、感覚的な印象において浄福感を生じさせる何かがあった。繊細な、神秘的な面影を残していたのだ。この香気馥郁たる豊かな思想の源泉からどうして何も汲もうとせず、史料的価値以外の側面を見ようとしないのだろう?一つひとつの細部を組み合わせる仕方に着目せず、恣意的な想像力をもってするという安易なものの見方は、一つの主体、あるいは精神的共同体のうちに通底する内的な体験を記述する方法を持ち合わせていないのである。実に嘆かわしい。でもそれは別にどうでもいい。天秤の片側には希死念慮があり、もう一方を不滅願望が占めている。均衡を保っていることはまれで、常にどちらかへの傾きを示しているが、もののはずみで正反対に傾くときもある。莫大な虚無と積極的肯定との間にある緊張関係は移ろいやすくダイナミックなものなのである。