あそけし

メイドブログ

満たされ得ぬもの

好奇心に駆られてヒト用の首輪を購入した。周りに何も悟られぬよう取り澄ました身振りで興奮を抑えながら、足早に店を出る。下劣な欲望は仄暗い心の深層より迸り出、意識から思考へ、思考から全神経へと自らの存在を告示するのだ。両の足はまるで独立した意志を持つ一つの器官であるかのように勝手に歩き出し、人混みを縫って中心街から大通りへ、大通りからさびれた裏通りへ、どんどん人のいないところへと私を運んで行く。その歩調は街行く人々の無邪気な歓びの調子を剽窃したものであったので、すれ違う人間の目には、おそらく私はさぞ愉快げにスキップする大胆不敵さ、あるいは一種の軽薄さとして映じたことだろう。しかし私の名誉のためにも、これら一連の出来事は物憑きというほかに説明しようがない質の事柄であって、決して私が望んでそうしているわけではないことを再三繰り返さなければならない...小気味よく上下に揺れる私の身体の動きに一致して、手提げ袋も上下に揺れ動き、そのたびにどうしても首輪のこと、そしてそれを用いて成されることを意識してしまう。だが自室であればまだしもここは家の外だ。おのれの淫らな欲望に取り憑かれ、そればかりか公共の空間においてそれを満たさんと考えることなどもっての外だ。自己を律さずして心の安寧は無し。ここは外だ。そう、絶対にダメなのである。しかしアスファルトの地面は、昼も夜も赤銅色に輝く太陽の貪婪さを満足させているというのに、ヒト一人の取るに足りないちっぽけな欲望に奉仕することさえ拒むのか。飽くことを知らぬ泥濘のような秋空に吹くさわやかな風は街の混沌の中に色彩を投げ入れて、尋常ならざる観念に心が魅せられるたびごとに、頭蓋に咲くこれらの病んだ花々を甘い甘い液体肥料に浸すのだった。このような問題提起は私には馬鹿げたものであるように思われる...なるほど公共とは往来する人々の風紀を裁定する審判者の名であるのだが、きょうびその秩序と公正の天秤のまわりに肉と汚辱の烈しい循環があるならば、彼もまたソドムの娼婦でありうるのだ。再び意識を外へと向ける。裏通りは閑散としているとはいえ、少なからず人の往来があったので横に抜けると路地に出た。足を止めゆっくりと周囲を見回す。雑居ビルの一室にある窓―問題なし。埃の体積具合からみても長い間開閉されていないことは明白である。あのゴミ箱の中からこちらをじっと見据える眼差し―問題なし。蓋を開けてみると、一つの裏切りであるかのような暗闇が深々と満ちているばかりだ。鼠や野良猫―問題なし。小動物に対してであれ、人間の醜態を晒すことは厳に慎まなければならないだろう。だが今私は自由の身となった。誰の目もなく何かに配慮しなければならないということもないのだから。果てなき渇望に身を引き攣らせ、精神解放するのです。はやる気持ちをおさえつつ、勿体ぶった手つきで袋の中から首輪を取り出す。永遠と不滅の相としての円環が、いつから支配と従属の象徴及びその手段として使われることとなったのか?人間はまったく罪深いものである!あなたもそう思わないか?感情がたかぶり、返事を求めてみるも聞き手はいない。そう、人間は本質的に罪深い欲望を抱えている、のであれば自らの悪性を押し殺し、情容赦なく自らの領分から追放し去って敬虔な叫びを上げ続けるよりも、終わりのない熱狂に身を焦がし、露悪的で荘厳な諸力の間断なき供給の中に身を沈め、この内なる敵によってぶち壊され八つ裂きにされ貪り喰われる生を私は所望する、少なくともあなた達にとやかく言われる筋合いなんて無い!と非難の意を込めて突き出した人差し指は空虚を指すばかりだ。呼吸を整えて首輪に目をやる。日は地平近くに残照を残すのみとなり、街路の隅々を金色と赤紫に染めなしている。遊戯の終わりは近い。火と燃える赤色の皮のあざやかさ。夕暮れは嘘偽りなしに渇いた心を包みこんでくれる。すっかり酔い心地になって、力なく地べたに座り込む。ひんやりとした感覚が皮膚に伝わってくる。首輪を首に回し、少し余裕を持たせて留める。手を離すと首元へするすると落ちていき、金具が触れた鎖骨の骨端から暗く重い幸福感がじわじわ広がってゆく。四つん這いになってしばらく歩き回った後、ぺたん座りの姿勢のまま体の真正面に突いた手を太ももで挟み、"待て"のポーズを取ってみた。すると途端にせつない気持ちが込み上げてきて、不在の主に向かって情愛を懇願し、しっぽをフリフリ、恍惚のうちに服従の言葉が口をついて出た―他ならぬご主人様のご命令とあらば、不肖あそにゃ、いかなる辱めも受ける覚悟は出来ております―

 

ああ、哀れなあそにゃ!誰かあるいは何かの所有物と成り下がり、壊れるまで犯されたいと書くだけで、この分量?